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岩間寺は混乱していたのか?


 醍醐派管長仲田順和師(兼西国十一番上醍醐寺住職)が、宗議会等で説明した岩間寺の住職に就任した理由のひとつが「混乱している岩間寺の建て直し」でした。しかし、仲田順和管長は龍空住職在任中はおろか、その葬儀にも、また住職就任後も岩間寺に来ておらず、岩間寺が混乱しているかどうかなどわかる筈がありません。

 仲田順和管長が最初に来山したのは、平成21年3月7日の一時間ほどで、田村照晃現伝法学院長、仲田順英現総務部長、長瀬福男広報室長、清水紀尚出版局長を引き連れての職員などに対する説明の時でした。この会議に檀家が同席を求めましたが拒否されました。(檀家によって嘘が明らかにされるため)

 仲田順和管長は、それまで岩間寺に来なかったのは、副住職などが不法に占拠していた為だと言い訳しつつ、岩間寺との関わり等については〝龍空住職とは大変親しくしていて、その遷化が惜しまれる。生前中はよく相談され、今日の岩間寺の礎は私が陰で相談に乗っていたからの結果である。信徒会館建設の際も随分尽力させていただいた。田居妙淨副住職には、私と共に岩間寺を守って欲しいと何度も説得したが、本人より強く拒否され、強制執行という措置をとらざるを得なかったことを理解して欲しい〟という、矛盾したものでしたが、全くの虚言です。(副住職は一度たりとも岩間寺の運営について話しをしたことはありませんでした。)

《岩間山正法寺(岩間寺)における大祭・例祭の比較》
田居龍空住職・田居妙淨副住職当時 仲田順和住職の現在

田居龍空住職・田居妙淨副住職時代のご縁日。内陣はいっぱいで、多くの参拝者で賑わった。

終観音ぼけ封じ大根焚きの昼前の境内。天気もよく最も賑わう時間のはずが、人影もなく…。

田居龍空住職・田居妙淨副住職時代のご縁日。

仲田師が住職就任後の節分会。法要への参列者は五人だった…。

《岩間山正法寺(岩間寺)境内の比較》
田居龍空住職・田居妙淨副住職当時 仲田順和住職の現在
整備されていた境内地
荒れる境内地

ちぎれたままののぼり旗(↑)。寄進者がなく、そのままに。

半年以上掃除がされていない社殿(↑)。枯れた榊の葉を毎月一枚ずつ並べても誰も気づかない。

建物の一角(↑)。この奥にご本尊さまにお供えするお膳が入っているが、役僧の私物で異臭を放つ。